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会員ZOOM 第4弾

■ 会員交流会 2014年8月5日(火)  e-経営推進室 代表 宮角良介さん

宮角良介さん

【お話の概要】
■昭和60年に浜松移住
 私は昭和60年に、仕事の関係で浜松に転勤になり浜松で暮らすようになった。浜松はあとで述べるように魅力が一杯だった。結局、平成8年に定住を決めた。仕事は長年IT系企業に勤務してきたが、この業界は技術変革がめまぐるしく、その変化に対応することに振り回される仕事に疑問を感じていたときでもあり、「自分自身が腹を据えて取り組んでいける仕事をしたい」と、56歳で退職し、コンサルとして起業した。中小企業の事業継続計画を立てたり、地震などの震災に遭った際に、いち早く事業を復活させるためにどうするかをサポートしたりが主要内容だ。

■レジリエンス力を向上させよう
 最近、「レジリエンス力」という言葉をよく聞くようになった。
これは心理学の分野からきている言葉で、「ストレスに打ち勝つ」という意味合い。災害や危機に対しての復元力として防災面でもよく使われている。
 我々の住む静岡県は、過去の歴史からみても、マグニチュード8前後の南海トラフ巨大地震がくるといわれている。こうした大震災が来たときどうするのか。ひとりひとりが、助け合っていかねば、生き残ることはできないだろう。ならば、助け合い、生き残ることができる地域にしていきたい。
それには、「来たらどうしよう」ではなく、「日頃から備えておく」ことが重要。備えのある暮らしに改善させていきたい。
地震によって会社が倒壊し、設備が壊れ、人が出社できないという時にも、事業を継続する方法を考える。自力での事業継続が難しい場合は、機能を代行してもらう仕組みづくりをする。しかし、実際、災害の時だけ助け合うというのは、なかなかうまくいかない。
ならば、普段から助け合う事業展開を進めておけば、突発的な災害時への備えというだけでなく、互いの良さを活かした成長も期待できる。こうした普段からの土壌づくりに、自分が役に立つことができればと考えている。

■魅力の多い浜松
 「浜松は若者が多く活気に満ちた雰囲気」というのが第一印象だった。有楽街やモール街などを歩くと、肩がぶつかるほど人々で賑わっていた。(今は悲しいかな、静かな街中になってしまったが・・・)。
 とはいえ、浜松の魅力は数多い。まず、新鮮で豊富な食材。生シラスやメヒカリ、カツオの刺身などを初めて食べたときは感激した。そして山や海、川、湖が近く、自然が豊かな場所でありながら、東京や名古屋の首都圏に1~2時間で行くことができるのも強み。実に暮らしやすい町だと思う。
 また、暮らしやすさは、浜松に暮らす住民たちの特長も大きい。私は、引っ越してきてすぐ、地域自治会の役を仰せつかった。「まだ溶け込んでいないよそ者に」とびっくりしたが、お陰で、すぐに皆と親しくなることができた。浜松はよそ者も、抵抗なく仲間として受け入れてくれるところだと実感した。

■やらフェスを地域みんなで盛り上げたい
 こうした浜松の魅力を、他の地域の人はもちろん、住んでいる人たちにも再認識してもらいたい。それには、街の魅力ある情報を積極的に発信する必要がある。浜松は、音楽、楽器、家康、餃子、製造業、うなぎ・・・など、地域資源に恵まれすぎて、核となるものがはっきりしない傾向がある。何か核となるものに絞り、印象づけていくことが必要なのではないかと感じている。
 そして、いろんな人が集まり、地域の資産を融合することで、新しいモノやコトが創出され続ける地域になればと思っている。
 例年、秋の10月に開催される「やらまいかミュージックフェスティバルinはままつ」は2014年に8回を数えた。私は実行委員として毎年運営に参加している。とても素晴らしいイベントだと自負しているが、まだまだ目指す聴衆人数には程遠い。現在公式発表では3万5千人だが、浜松の地の利を考えると、10万人、20万人も夢ではない。フェスティバルの魅力で人が集まる、そして地元の方々の店が開き、一緒にフェスティバルを盛り上げる、それこそがイベントの相乗効果だと思う。気持ちを合わせて、一緒に盛り上がっていけるよう、さらに広く発信していきたいと思う。

■ 会員交流会 2014年8月5日(火)
(株)システミクス 代表取締役 宇佐見 靖さん

宇佐見 靖さん

【自身と会社のプロフィール】
 私は北海道出身。中学のとき、親戚が住む浜松を訪れたとき、真冬だというのに温かく、茶畑の緑が濃いことに感動。以来「静岡に住みたい」と思うようになり、その後、光電機械工学科の一期生として静岡大学工学部に入学した。当時、新しい学科の一期ということもあり、選抜された教授、全国から学生が集まり、「浜松をシリコンバレーのような起業の街にしよう!」という担当教授の意気込みに同感し、また、バイト先の会社社長の影響も受け、私は当時から自分の会社を持ちたいと思っていた。

 大学卒業後、浜松の会社に就職し多くのことを学ばせてもらった後、1991年に、システム関連会社の(株)システミクスを設立した。
以来、生産制御・管理ソフト開発、インターネット関連事業、携帯電話関連サイトの制作など、時代のニーズに合わせ、事業を展開。10年前からスタートしたサーバー業務が好調で、今後はデータセンターとしての役割を果たす拠点を建設し、浜松でデータセンター産業を立ち上げたいと考えている。
 このほか、グループ会社として、不動産業の(株)システミクスサポート、飲食業の(株)フーデリガを設立。システミクスサポートは、マンション、店舗運営、フーデリガは、飲食店を2011年11月、及び2012年10月にオープン。20年間コンピュータ業界で仕事をしてきた私は、これまでと全く違うビジネスを展開することにより今後のさらに大きな事業の糧となると考えている。

【浜松の次なる産業は?】
 浜松地域は、昔から、木材や水など、地の利を活かし、製造業を発達させてきた。しかし今後、製造業に変わる次なる産業は何か?
ソフト産業は、ある意味、どこの場所でも可能。
 そこで、自分がぜひ進めたいのが、データセンター産業である。東京と大阪の真ん中という浜松の地の利を活かし、インターネットサーバーと差別化した、各社の社内システムサーバー用のデータセンターを確立するのだ。インターネットサーバーは世界どこにあってもよいが、社内用サーバーは通信遅延の問題から近くにある必要がある。現在、中小企業のほとんどが社内においているが、これでは災害時の対策は不十分。データセンターにバックアップするだけでなく、システムを起動できる仕組みづくりを造りあげてはどうか。東京と浜松、大阪と浜松のように2重化し、どちらでも運用できるようにする。そのための技術者を、浜松に集結させるのだ。
 また、不動産関連では、浜松駅前の活性化として、200m級のマンション・データセンター複合高層タワーを、あと数棟建設し、現在よりもっと安値で入居してもらうことで、街は賑わいをとりもどすことだろう。
 さらに、浜松地区は小型エンジン、蓄電池の技術力が非常に高い。こうした特化したものづくりの開発に、もっともっとチャレンジしていくべきだと思う。浜松ならではの技術で、シンプルな上質アイテムを次々に作り、それらを売り出すこと。日本にいま足りないのは、この強く押し進める若いパワーだと思う。
 その代表例として、充電だけのためにだけに小型エンジンを積み、電気で走るレンジエクステンダーの開発。
もうひとつ、スマートフォンに代わる、腕時計型端末とサングラス型表示機を組み合わせたウエラブル型情報機器開発。現在、充電性能により壁があるようだが、使う時だけに顔にかけ、使わないときはポケット、バッグなどに充電パックを入れておき、セットして充電するというようにすれば現在の技術だけで実用化可能。
これらは浜松のものづくり技術が最大限に発揮されるであろう。

【海と山に囲まれた夢の場所】
 浜松は世界的にも誇れる場所だと確信している。海、湖、川、山と近距離にすべてがあり、それでいて東京や大阪への交通アクセスも充実し、日本の中心に位置するため、どこにいくにも便利。都市機能が整っている。
 私はウインドサーファン、サーフィン、サイクリング、ボルダリング等が趣味なので、浜松は最適な場所といえる。特に、当社が立地する雄踏町から車で5分の場所に、村櫛海水浴場がある。ここはウインドサーフィンに最適。風がどの方向になっても楽しむことができるのだ。風の少ない朝は、表浜の海岸でサーフィンを楽しみ、風が出始める午後には浜名湖でウインドサーフィン。こんな夢のような場所は、ほかにはそうないはずだ。

浜名湖クラブでは、浜名湖をシンボルリゾートタワー中心とした世界の観光スポットになるよう活動していきたいと考えている。

 
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